山登りの夢から。八紘一宇に出会う。
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2013年過去Blogより …
熊と戦う 2013-8-26…
夫が、私に「山、登ってた!」と急にいうので何のことかなーと思い
私「何のこと?」
夫「夢の中で山登りしてたよ」
「一緒に登っていたんだけど、途中で、小熊が出てきてお前ったら一緒に遊び始めちゃったんだよ、
私「小熊(^^)?」
夫「ベリー(今年冬に亡くなった愛犬ゴールデンレトリバーの名前)と遊んでいるみたいに、楽しそうに遊んでいたよ。」
私「へ~」
夫「もし、母熊が出てきたらどうやって戦うか考えていたんだ。」
「リュックサックを楯にして…」 「戦略をブツブツ…」
私「あのさ~何で小熊をほっといて早く頂上に行こうって言ってくれなかったの?」「だと、母熊怒らないよ」
夫「いや、それは考えなかった。楽しそうだったから、遊ばせてたほうがいいと思ったー」 「で、母熊が出てきて、戦う作戦ばかり考えてたよ!」
夢見は私のほうが盛んなんだけど枕のしたのドリームクォーツとアポフィライトは、
全く夢を見る習慣がない夫にも夢を見させてくれたのかな。
*グリーンアポフィライトとクリアアポフィライト 《高次のガイドや天使のつながりスピリチュアルな情報に関するワーク、スピリチュアルなビジョンを得ることのためのパワフルな石。》
…それにしても小熊と遊ばせてくれて、優しいね(^^;;
2013-9-8 夫が山登りの夢を見たので、急な話しですが「山に登ってみよう」ということで、お休みの29日、月山の頂上めざして出発しました。
結婚前は、学生時代の体育程度の運動量。
結婚後は、子育てレベルの運動量。 それから仕事没頭の20年。
毎年大晦日に嫁ぎ先の裏山にある 「白山神社」の石段を登るだけで息があがる状態で…
数か前にテニスクラブを発足し、会員さんに混じってやっと運動らしきもの始めたけど、1984mの山頂までたどり着くことが出来るのでしょうか…⁉
さて、月山は奥州随一の山岳信仰の地、月山、羽黒山、湯殿山を「出羽三山」と称し世界スピリチュアルマップにも掲載されるほどの山です。
月山は、死と再生の聖なる山として崇められ出羽三山神社の主峰として古くから人びとの篤い信仰を集めてきました。
クリスタルセラピストの私は、石のヒーリング効果を説明するときに霊的な経験を引用することがしばしば、山形と言う土地で生業させて頂く中で霊山とされる、月山、羽黒山、湯殿山は自然な形で言葉に現れてくるのです。
湯殿山、羽黒山は過去に参拝させて頂きました。
月山は、今こそ登るタイミングが訪れたのに
身体の力がない… 大丈夫でしょうか。
でも、やっぱり夫は「行く」と言った。
自分のことも心配だけど古傷が痛む社長の膝を心配し近くにあるshopでトレッキングシューズを購入しました。
私は、春にテニスを初めるためのランニングシューズがあったので、それで大丈夫‼と思いました。
さて、娘のお上がりのリュックにお水、コーヒー、チョコレート、おにぎり等の遭難しないための(私的)グッズを入れいざ出発。
ルートはいろいろあるといいますが、 昔、宿坊とされていた志津温泉街を抜けて駐車場に車を停めリフト乗り場まで歩きました。
リフト乗り場まで行く道が、私にとって大変なことでした!
短い距離なのに、急斜面。
リフトに乗ると高山植物が眼下に広がりリンドウの紫色が
神聖な入り口を示しているかのようだった。
下では見ることの出来ない美しい蝶もたくさん飛んでいて、
まるで異国の地にいるような錯覚を覚えました。
光りは強く風が通り抜け、 夫もは息子から以前プレゼントされたキャップを被っていました。
リフトを降りたら頂上まで、約二時間かかるという。
姥沢小屋があり 中で簡単な食事を取れる小屋と簡易的に参れる祭壇があり、お札など購入出来そうでしたがここまできたら後には引けないと思い出発しました。
例えるなら登山は出産と一緒な感覚。(私的)
自分の身体の呼吸と向き合い、リズムをとる。歩き方、休み方も自分のリズムで登る…
高山植物の美しさに目を奪われながら歩けたのもリフトまででした。
夫が、励ましに声かけてくれるにも、その声にも何の反応も出来ずに、「今がんばっているから、かまわないで~ゼィはあ」という感じ… 「あ~この場面どこかでもあったなー」 「そうだ‼赤ちゃん生むときだー」
そうなんです、究極の場面は頼れるものは〝自分〟なんですよ。
…それから
想像すらしなかった岩場が目の前へ広がり
足場を選びながら上がっていくと、空気がいきなり冷んやりし、山々が下に見えました。
上を見上げると、 月山神社の建物を確認出来てもう少しなんだ!とはげまされました。
どの石に足をかけて登るのかは自分次第。集中出来ないと怪我をしてしまう。 降りてくる人に道を譲り待つ間に息を整える。 頂上はあと、少し。 可愛らしいお地蔵さんが微笑んでいた。 ここは賽の河原?と思わせるるような静かな平原…がひろがる… この世とあの世を分ける境目のようだ。 頂上だ…。

2013-9-19 ここは、頂上… 月山神社が鎮座している頂点が真っ直ぐみえる。
さっきまでの苦しい呼吸から開放され身体が楽になってきた。
これ以上は、神の領域とされるのか被っていた帽子も自然に外し背を伸ばして一礼をした。
息をのんだ。 そこに、1つの石碑が天空に向かって立っていた。
「八紘一宇」という文字が刻まれている。
どうして、ここにこの文字が⁈
24年前に亡くなった父を感じた…
しばらく呆然としてしまった…
父親は 24年前の9月3日突然、この世を去っていった。
亡くなる一週間前の週末、自分の生まれ故郷の長野県、黒部ダムへの旅行を楽しんできたばかりだった。
残暑が厳しく、蒸し暑い日だった。
私には、一歳になる息子、宏太を外で遊ばせていた。
凛々しい剣道着姿で出かける様子は娘の私から見ても、尊敬すべき人だった。
第二次世界大戦で陸軍通信隊、大尉として指揮を執っていた。
勲章、サーベル、軍服姿での乗馬の写真、戦地での記録など、品々や思い出話し、一瞬の判断での生死分ける場面、油絵などの遺品は彼の戦場での青春を物語り幼いながらも語られる全ての話しを尊敬をもって聞いていた。
父が、最後に出かけた時、車のルームミラーに自分が振る手を映した。
私は、父が振ってくれた手が写るミラーに私も手を振った。
私が振った手はお父さんに届いたのか…
まさか、一週間前に見た父の死が本当になってしまうなんて…
私たち家族だけがどこかの次元にいるような、死を目の前にした時間の流れ。
それとは逆に、否応なしに向き合う現実の時間。
突然の出来事に悲しむと言う感情よりも、父のために弔問してくれる 方々に状況を説明し弔って頂くことが、私の出来る唯一のことであり、身体が無くても魂が、そばにいるかのようで強く在りたい、と思った。
父が亡くなっても、会社は生きていた。私たちの知らない人が、父の死を知り契約中の宝石について問い合わせをしてきた。
母は、混乱の中にいる。
会社について、受け答え出来るのは私しかいない。
しかも、幼い時からただ、父の傍で遊んでいたから宝石を当たり前に目にしていた、だけのことだった。
父の机には 仕事をする上で必要な全ての項目が収められているノートがあった。
当時私の夫は、繊維業界の営業マン。
なぜか、私は夫に、父の遺影の前で(会社を)「するの?しないの?」と迫っていた。
心の中では、 「私たちが、担わなくて誰がすると言うの⁉」という強い気持ちだった。 今、考えると 夫が決断したあの時がなければ今がない。
手探りで乗り越えてきた。
ある時、会社の名前に素朴な疑問があって父の代からの付き合いのある問屋さんに何気に言った。
「会社の名前、(有)東京貴紘の意味なんだけど…東京は、分かる。父、長野生まれ東京育ちだから。貴は、貴金属の貴。でも、紘が、何故カネヘンの鉱でなくて紘なんだろう…?」 新規取引先は、必ずと言っていいほど諸々の書類にカネヘンの鉱を使用する。宝石商だからそういうイメージで最もだろう。
何故「 貴紘」なんだろう… 父を知る問屋さんが言った。
会社になる前に名前があったんですよ。
「ジュエリーショップ八紘」という… 続けて、 「八紘一宇」の意味から引用したんですよ。
「八紘一宇」という四文字熟語を聞くと、どんな印象もたれますか。 当時20代の私。 夫とともに、父の会社を継いで行きたい、と言う思いそのものが光り放つ
だから八紘は、針が指し示す羅針盤の八つの方位の広がり、それは1つの宇宙だ、というインスピレーションがひろがりました。
パソコンやスマホがなかった時代、すぐに調べもせず、イメージだけで心にしまった。
「四方八方にひろがる光りの世界、そしてつながりあう宇宙は1つ」 そんなイメージだけだった。
私は、その「宇宙は一つ、だから繋がっている」という意味を感じて 宝石が光りを与える…その意味を問いながら実践しこの会社を続けてきた、そして、今改めて「八紘一宇」の言葉を調べてみた、深い意味がそこにはあった。
「八紘一宇」とは、日本書紀に出てくる言葉でした。
「掩八紘而爲宇」 (=八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(なさ)む))が語源となっています。(「日本書紀」巻第三神武天皇の条) 「八紘」というのは「8つの方位(東西南北、北東、南西、南東、北西)」です。
8つの方位は、天地を結ぶ8本の綱だ。そしてこれが転じて「世界」を意味する語となった。
「一宇」というのは、「ひとつの家」という意味。 つまり、「八紘一宇」は、世界はひとつの家族だ、という意味になります。 イメージはそのままだった。
…あれから24年も経った。 そして、月山に登り頂上に立ったとき目の前に鎮座する「八紘一宇」 その文字と、会社に引用した「紘」は亡き父の託された意思が今だからこそ霊峰と言われる月山で出会うことでできた神様のお導き。
だから今だったんだね。
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この記事から3年が経ち、私たちは相変わらず宝石とともに、人に何が出来るのか、何のお役立ちが出来るか、幸せとは何か、という意味を模索しながら
個々の魂の成長の目的にそったクリスタルの提供をさせて頂いております。
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